かなり個人的なことだが、書かせていただこうと思う。
  
  自分の父は戦後の団塊世代で、山梨県大月市の大家族の末っ子として生まれた。
  地域の子ども達とあそぶのが得意な人気のお兄ちゃんで、
  家族からは教師になればいいと勧められていたらしい。
  大学卒業後、高度経済成長真っ只中の営業マンとして忙しく勤めていた。
  出世したらしいことを母から聞く度にがんばっているんだなと
  幼心に思ったことを覚えている。
  転勤も多く、そのため自分も小学生の頃は転校を繰り返していた。
  
  父との思い出は、自分が小学1年生から始めていた野球にまつわることが多い。
  父自身は野球の経験がなかったが、
  パパコーチとして毎週のように手伝いや応援に来ていた。
  夜には僕の体をマッサージまでしてくれていた。
  
  父の実家に帰省した夏休みに、富士山の雪解け水の流れる清流で
  川釣りを教えてもらったことが僕の原風景だ。
  父が少年だった頃の体験をその当時の僕が同じように体験することは、
  今思うと父にとっても幸せな思い出になっていたのだろうと想像できる。

  
  僕の高校、大学への進学や就職については対立することが多かったが、
  最終的には僕の好きなようにやらせてくれた。
  そして会社を辞めて富山でガイア自然学校をやる時にも
  当然のように反対したが、今では認めてくれているし心強い応援者だ。
  
  そんな父に癌が見つかり、この夏に手術することを聞かされたのは
  つい先月のことだ。「心配ない」と聞かされてはいるものの、
  老いと闘う父との限りある時間を今まで以上に意識するようになった。
  
  そして今、自分も小学4年生の長男と、生後2ヶ月の次男をもつ
  二児の父となった。
  長男には自分のライフワークを少しは背中で見せられていると思っているが、
  反面どれだけの時間と思い出を長男と共有できているかと思うと心苦しい。
  サッカー少年になりつつある長男はどんどん大人になっていき、
  手が離れていくことが寂しくもある。
  
  そんな長男が今年、「沖縄無人島キャンプ」に行きたいと言った。
  仕事として行く以上、親子の時間はもちろんほとんどないが、
  彼と僕とが共有できる一生の思い出になることを秘かに期待している。
  
  
  ガイアでの親子プログラムは堅苦しくなく、
  親も子ども時代に戻ってあそべるものだ。一緒に楽しんだ時間や場面が、
  多くの親子の原風景になればこの上ない僕の幸せなのです。

  【文:守屋 謙】