ガイア自然学校で大切にしていることの一つに
  「主体性を伸ばすこと」がある。
  これは聞き慣れた言葉だし、ありふれていて新鮮さもない。
  
  ところが、
  いかにその「主体性」が発揮される環境を作るかということについては、
  簡単ではなく、議論をしだすと終わりがない。
  いつも心をつかい、頭を悩ませているのが正直なところだ。
  
  日常の中で、自分で考え判断し、
  自分から行動するという瞬間はたくさんある。
  例えば、今をどう過ごすかという人によっては無意識に近い判断から、
  人生の選択をするという大きな判断まで様々だ。
  
  子どもたちとの活動においては、
  ガイア自然学校の活動の大きな特徴である
  「自由にあそぶ」ということが、
  その子自身に何をしたいかを考えさせる
  ひとつの環境になっていると考えている。
  
  禁止ルールを極力なくしていることは、
  自分で危険を判断し行動する経験ができる
  環境づくりにもつながっているのだ。
  
  ところが、
  Gリーダー研修のあり方や彼らの育成について最近をふりかえって、
  自分は教えすぎていると気づいたことがあった。
  それが、Gリーダーの主体性の発揮を阻害し、
  また彼らの子どもたちへの関わり方にも
  影響を及ぼしているのではないか、と思ったのだ。
  
  職員同士の議論の中でわかりやすい例があったので紹介したい。
  
  例えば、釣りの研修の場面だと、
  基本的な糸の結び方や仕掛けの作り方は教えたとしても、
  根掛かりを外すコツや、糸のからみのほどき方などの
  トラブル対処法までは教えなくてもいいと思うのに、自分はやっていた。
  
  さらに釣れるコツまで教えてもらったとして、
  それで釣れたらはたして嬉しいのだろうか?
  いや、おそらく嬉しさはあるのだが、
  彼らの力になるかという視点から見ると疑問だ。
  苦労して試行錯誤して釣れた一匹の喜びは格別だし、
  彼らの自信になるとわかってはいるのに・・・。
  
  経験や知識があればあるほど、先回りして伝えてしまうという愚かさ。
  転ばぬ先の杖を用意しすぎているということに気づいたのだ。
  そんなふうに教えてもらったGリーダーは、
  子どもたちにも当然のように同じ関わり方をすると思う。
  でもそれは僕の求めているものではないし、
  親の求めているものでもないだろう。
  
  本来、「体験から学ぶ」ことをやりたいのだ。
  それは、「失敗から学ぶ」と言い換えることもできる。
  結果だけでなく、過程を大切にしたい。

  
  そこには、求める結果が出ないかもしれないという不安、
  時間がかかるという事実を受け入れる勇気がいる。
  そもそも、人づくりは効率よくできるものではない。
  
  例えるならガイア自然学校は、
  大量均一生産の工場ではなく、個性豊かに輝く作品が生まれる工房だ。
  教えない勇気をもとう。
  【文:守屋 謙】