ガイア自然学校では、
  「一人でもあそべる力」を大切にしていて、育みたいと思っている。
  なぜならそれは、これから先の人生を主体的に生きていく力につながると思うからだ。
  他者と関わることは大事だが、他者の目や評価ばかりを気にして、
  自分がどうしたいのかがわからなくなると、つまらない人生になるのではないかと思う。
  
  「自分のやりたいことをやって自己実現することが、
  社会や誰かのためにもなる」
という形が、
  自分もまわりも社会も豊かになるポイントではないだろうか。
  
  
  
  こんな大きなことを言っているが、同じことは普段の活動現場でも起きている。
  
  例えば平日の森のようちえんでは、
  毎朝の会でそれぞれのやりたいことや1日のプランを言う。
  慣れない頃は自分のやりたいことをはっきりと言えなかった子が、
  今は一番に手を挙げて言うようになった。
  
  Aちゃんは「そりあそび」Bくんは「かまくらづくり」、と主張する。
  その後のそうだんタイムでは、なんとなくの全体の1日のプランをたてるのだが、
  ボードに書かれたそれぞれのやりたいことは、どの子もわかっている状態であそびだす。
  
  玄関前の雪山にとびだすと、そりあそびやかまくらづくりが始まる。
  充分にあそんで満足すると、Bくんはスコップを手放し、
  Aちゃんが滑ってできたコースで楽しそうにあそんでいる。
  それを見たAちゃんはとても嬉しそうだ。
  同じようにAちゃんはBくんのかまくらに入って楽しんでいる。
  Bくんも一緒にかまくらに入っておしゃべりを楽しむ。
  
  こんな何気ないあそびの中にも、自己実現と他者貢献は存在しているのだ。
  
  一見するとバラバラのあそびをしているように見え、
  そんな現象を好ましくないと思う大人もいる。
  多くの保育や教育現場で起きている
  「みんな仲良くあそびましょう」から外れているからなのだろうか。
  しかし、自分のやりたくないことをやらされる苦痛は誰しもわかるはずだ。
  やってもやらなくてもいい自由があるからあそびなのだ。
  その自由が保障されている安心感から、子ども達は自分らしくいられる。
  そしてあそびを通して学ぶ。
  
  
  
  さて大人はどうだろう?
  他者の目や評価や期待を気にすることにエネルギーを消耗し、
  自分自身を大切にできていなかったり、
  「ひとり」になれずに他者に依存してしまってはいないだろうか。
  
  親は子どもを比較したり、自分の思惑を押し付けすぎてはいないだろうか。
  
  大切なのは、自分にもその子にも、良くなっていこうとする力が
  もともと備わっていると信じることだ。

  
  信じることができれば、
  僕たち大人や親の役割は、「教育者」ではなく、「支援者」になれるのだ。
  【文:守屋 謙】