先日、東日本大震災で被災した方から話を聴く機会があった。
  被災経験から、その人が大切にするようになった価値観や考え方に触れ、
  考えさせられたことがあった。
  
  
  すべてを失い、避難所に着の身着のまま逃れてきてから、
  目の前で次々と発揮される人間の底力に感動したとのこと。
  次の食事をどうするか、という状況にまで追い込まれた時でも、
  被災した人たち自身が団結して知恵を出し合い、
  工夫して生活する基盤を築いていったのだ。
  人間はすべてを失った状態でも、
  絶望さえしなければ、生きようとする力を発揮できる。
  悲しみや目の前の現実に打ちひしがれても、
  そこからまた未来の希望に向かって立ち上がる命の力をもっているということを、
  臨んではいない経験の中から実感したのだ。
  
  
  人はあたりまえの生活、あたりまえの環境を、失ったときに初めて気づくという。
  人は生活を良くしたいという本能があって、大昔から道具を作ってきた。
  でも現代は道具が進化しすぎて、便利すぎる世の中になってしまったと思う。
  それと引き換えに人間の本能や生きる力は
  どんどん衰退してしまっているのではないだろうか。
  このまま数百年進化し続けると、人間は頭だけ大きく肥大し、
  体は細くて小さい宇宙人の様な生物になってしまうのではと想像できる。
  AI(人工知能)に人間の仕事が奪われる日は近いと言われている。
  
  
  そんなことを考える中で、自分の中にある気持ちに気づいた。
  
  僕は生きているという実感をもっともっとほしいと思っているということ。
  魚も捕りたいし、山菜も木の実も採って食べたい、
  野菜も育てて食べたい、キャンプしたいし笑いたい、
  泣きたい、喜びたい、感動したい、人を元気にしたい、笑顔にしたい、癒したい。
  
  ガイアの活動を続ければ続けるほど、
  自然の偉大さや恵みを実感し、人の優しさや美しさを知り、
  自分は自然やまわりの人に生かされていること、
  そして自分も自然の一部だという想いが強くなってきている。

  
  そんな謙虚な気持ちを忘れないことが、
  人にも自然にも優しくできるキーワードかもしれない。
  地域も社会も、まわりの人も自分も幸せになれるヒントかもしれないと思う。
  
  
  生きる力は元来、人間がもっている本能だと思う。
  キャンプという体験が、子ども達の本能を呼び覚まし、
  またあたりまえの日常に感謝し、生かされている自分に気づける場になればと心から願う。
  そしてまた、子ども達の命を輝かせる場にしてほしいと願っている。

  
  ガイアのキャンプはとびっきりワイルドだ。
  
  さあ、もうすぐ夏がやってくる!かわいいわが子にこそ、キャンプを!
  【文:守屋 謙】