先日、息子の保育参観に行ってきました♪   
  わずか30分程の時間でしたが、クラス内での子どもたちの様子がわかって楽しい時間でした。   
  親子で折り紙とのりを使ってひな人形をつくるという企画があったのですが、まあその忙しいこと。   
  (個人的捉え方と前置きしますが)先生方は準備も《今》も大変頑張っていらっしゃるのがわかる、   
  親もうちの子は遅れさせまいと手伝う、子どもたちは「あれしたら次はこれ」と言われながら《作業》をしている。   
  僕はと言えば、ぼんぼりを作ったり折り紙の切れはしを使って何かわからない変な物を作っては、   
  息子に見せて遊んでいました。   
  帰りに見た廊下に飾ってあるだるまの絵は、息子も含めてほとんどみんな同じ形と色。   
  親としては何かもの足りないなぁと感じ、でも自分が子どもの時もこうだったかもしれないと思いながら   
  保育園を後にしました。
  
     
  良かれと思って大人がしていることが、子どもたちにとってそうではない方向に向かわせているということは、   
  日常に溢れるようにある気がします。   
  結果や成果に突き進み、プロセスの中にある大切なものが感じられなくなってはいませんか?   
     
  12月のガイアキッズでこんなシーンがありました。   
  集合しても「帰りたい!」と大泣きする子。お母様も困っていましたので、そこは大人の都合で預かりました。   
  班担当のリーダーの1人は1時間以上、その子の泣きたい気持ちに寄り添い続けていました。   
  もちろん様々な心の葛藤と共に。   
  泣き疲れたその子はそのままひと眠り…そしてケロッとした顔で「みんなのとこにあそびにいく!」と。   
     
  また1月のガイアキッズは「風とあそぶ」というテーマで、凧作りができる用意をしていました。   
  でも、ある子は凧作りには全く興味がなく、一目散に冬の海へ。   
  全身ぬれても平気であそび続ける彼と、手をつなぎながら一緒にずぶぬれになっていたリーダー。   
  その後、凍えて泣くことになったのですが(笑)。   
     
  やりたいこと、やりたくないことを自分で選択できる「自由」と、   
  それに伴う「責任」を大人に見守られながら体験できる場
であり、   
  子どもの気持ちに丁寧に寄り添える、いや寄り添いたいと努力し成長し続けるリーダーの存在が、   
  ガイア自然学校そのものだと実感している今日この頃です。